四月二日に生まれて

めっきりライヴにも行ってなかった。
最後は2・3Sの武道館だったろう。

アルバムも随分聴いてなかった。
「ラプソディー・ネイキッド」を聴いて懐かしく思ったが
もう熱心なファンじゃなかった。

だから、わざわざここに何か書くのも
どうかと思うのだが
なんとも
 悲しくて我ながらとまどっている。

書かずにはいられない気持ちもあるが
そんなの自己満足だろうとも思う。
だけど、そもそもブログはそおいうもんだ。
だったらこの際、自分の気持ちを記しておこうかと思えども
何をどう書けばいいのかわからない。
とにかく気持ちの整理がつかないのだが
整理がついたら書かないだろう。
とはいえ本当に好きだったんだから、誰にでもなく書く。
とりとめもない。

You Tubeをずっーと観て色んな曲で涙が流れ。
ニュースでチャボや梅津さんの姿を見ては涙があふれ、、
こうなりゃ
泣くなら泣こうと。
とっておきのカセットテープを取り出した。
初めて行ったRCのライブをじいちゃんの小型カセットをこっそり忍ばせて録音した奴だ。

「RC SUCCESSIONN
 S56.11.7(土)福岡市民会館」
 
A面           B面

よォーコソ      あきれて物も言えない
Rock'n Roll Show   トランジスタ・ラジオ
あの娘のレター    多摩蘭坂
ガ・ガ・ガ・ガ・ガ  DDはCCライダー
ラプソディー     Sweet Soul Music 
Johny Blue      Bun・Bun・Bun
チャンスは今夜

「スローバラード」「雨上がりの夜空に」「キモちE」もやったはずだが
テープが切れて入ってない。
「BLUE」の発売直前で いかしたゴキゲンなナンバー揃いだ。
一曲目が「よォーコソ」で二曲目が「ロックンロール ショウ」は
何とも贅沢だ。

ただ観客の声がメインという
聞く度に残念な気持ちになるテープだ。

テープを再生した。
会場のざわつき。
チャボのMCで盛り上がり、、
そして「よォーこそ」のイントロが
始まった途端、その時の景色、感覚が蘇った。
この夜、俺はロックの衝撃を初めて体で味わったんだ。

ついでに 頭のネジが何本か吹っ飛んで
人生が動き出した気がする。

音楽は、一瞬でその時に持って行くから、全くもって、かなわない。

その夜からRCに夢中になり、卒業までの日々のサウンド・トラックは主にRCだった。
思い出はありすぎて書ききれない。楽しい夜には大音量でRCがかかってた。

上京する直前にFM福岡主催のRCのライヴがあった。
抽選で当たるからせっせとせっせとハガキを送った。
好きな人と行きたくて 、どうしても2枚当たりたかった。
結果1枚当選。淋しくひとりでRCに行って
上京した。

その後ライヴには何度も行ったが、初めての時ほど鮮明には覚えてない。
だけど
「雨上がりの夜空」の時は、「こんなこといつまでもー」でのとこで
いつも「キヨシロー!!」と叫んだ。
「ラプソディー」の男性のかけ声が「いいなぁー」と思ってたんで真似した。


SHA.LA.LAの旗揚げの時
劇団名をつけるミーティングがあったが
なかなか決まらず
ずいぶんと煮詰まった時
RCの「あの娘のレター」の
「シャラララ〜レタ〜」のフレーズがふと浮かんで
俺が「シャララは?」と言って、皆がのってSHA.LA.LAになった。
そうでなきゃ「ノーティボーイ」だった。これは田中くんが言った。
しかし、それもRCのアルバムから取ったはずで、なんせ俺と田中くんは
RC大好きだったから。どっちみち何かしらRCが絡んでたわけだ。

そして「すべてはオーライト」という曲は、先が見えない頃
横浜のアパートで聴いて泣いた。励まされた。
今も心に響く。いや今のほうが身にしみる。

他にも もっと もっと。
思い出せばきりがない。

ライブのMCで
「俺ン家だと思って楽しんでってくれ頼むぜー!」とか気の利いた事いう人
他にいなかった。
そおいうユニークなMCの言葉選びも東京ッぽさも好きだった。
何かに怒って戦ってる時も好きだった。

誕生日が同じとわかった時、なんだか凄くうれしかった。

同じ四月二日生まれとして
もうすこし頑張ります。

これからもあなたのゴキゲンなナンバーを聴き続けます。
どうもありがとう。
感謝します!!







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by iripon45 | 2009-05-05 16:52  

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